富山プロダクツ

有限会社モメンタムファクトリー・Orii

PROFILE
1950年に折井竹次郎さんが、高岡銅器の着色を手がける折井着色所を創業。皇居二重橋龍橋桁や照明灯、大型仏像などの着色に携わる。二代目の雅司さんの時代には美術品や記念品、銅像、仏具など、伝統的着色技法の仕事で工場は活況を呈す。三代目の宏司さんは銅などの圧延板材への発色技法を独自に開発。建築、インテリア、飲食業界のほか、ファッション分野など、異業種との交流を積極的に進め注目を集める。ものづくりの可能性を広げ、伝統産業に新しい風を吹き込んでいる。

独自の色で、
新しい分野とつながっていく。

新しい発色、ものづくりに挑み、若者たちを惹き付ける

400年の歴史がある高岡銅器。その産地、富山県高岡市は、全国の銅器製造で今も国内トップシェアを誇っている。
有限会社モメンタムファクトリー・Oriiは、高岡銅器伝統の着色の伝統工芸士でもある折井宏司さんが代表を務め、金属への着色やプロダクトの開発で注目を集める。折井さんは、伝統の銅器業界が低迷するなか、銅の圧延板に着色するという、高岡銅器にはなかった独自の手法で新しい色を生み出した。その技術をもとにしたオリジナルのプロダクト開発や、インテリア・エクステリア建材への着色で新たな道を切り拓き、同社は大きく飛躍し始めた。県内外から集まった若者たちが、折井さんのもとでものづくりに挑む。
美大や大学院を修了後ここで働き、作家を目指す人もいる。若者を惹き付ける、Oriiオリジナルの発色と挑戦とは。その魅力を探っていこう。

バブルがはじけ、伝統の銅器生産が大幅に減少

同社の歩みは、1950年に折井さんの祖父が「折井着色所」を創業したことから始まる。代表取締役の折井宏司さんは折井着色所の三代目として生まれ、子どもの頃は当然、家業を継ぐものだと考えていた。しかし、高校卒業後は東京に出て学び、IT関係の代理店に就職。1993年の東京サミットのデータシステムのハードウェアを担当するなど、大きなプロジェクトにかかわり、若くして業績を上げ、やりがいに満ちた日々を送っていた。一方で、バブルがはじけ、時代は大型コンピュータからパーソナルコンピュータへ。自分の役割を再考させられるなか、東京の広告代理店に勤めていた叔父の「お前が家業を継がなければ、伝統の技も会社も無くなってしまう」という言葉に、はっとする。悩んだ末、1996年、26歳で高岡に戻り家業へ。だが、伝統の高岡銅器の世界でも、仕事はどんどん減っていく厳しい状況にあった。「父の代までは、銅器の問屋さんから受けた記念品や美術品、大きな銅像などの着色の仕事がほとんどでしたが、私が戻った頃には、そういった仕事がどんどん無くなっていました。そこで、自分が欲しいもの、人に欲しいと思ってもらえるものをつくろうと取り組み始めたのが、銅の圧延板材への着色だったのです」

オリジナルの発色技術の確立へ

折井さんは父の雅司さんから伝統の着色技法を教わるほか、高岡市デザイン・工芸センターの後継者育成クールに通い、鋳物や彫金についても学んだ。自社で鋳物をつくるには莫大なイニシャルコストがかかるが、ホームセンターでも売っている銅100%の圧延板への着色ならできると考えた。また、当時参加した、人体に蓄積する恐れがある鉛を使わない鉛レス勉強会での学びも踏まえ、銅の板で実験を繰り返した。そうして偶然出た色が、「斑紋孔雀色」だ。孔雀の羽のように、青や赤などが複雑に散りばめられた、これまでにない発色。「無知であったからこそ、出せた色」と振り返る。素材がピュアで色がつきにくく、また溶け易い薄い銅板。それに着色しようという職人は、それまでいなかったのだ。
それと同時に、工芸都市高岡クラフトコンペティションに折井さん自身がデザインした作品を、毎年出品。コンペをきっかけに、様々な人との出逢いが広がり、建築内装の仕事につながった。2002年には六本木ヒルズの展望フロア壁面なども手がけている。
その後、2008 年に社名を有限会社モメンタムファクトリー・Oriiと改めた。その後、デザイナーの戸田祐希利さん、東京のヘラ絞りのメーカーとコラボした「tone」というブランド立ち上げ、インテリアライフスタイルに出展すると大きな反響を呼ぶ。モメンタムとは、「勢い・はずみ」と言う意味。その後もニューヨークのICFF国際現代家具見本市に出展するなど、伝統の枠を越え、次々と新しい挑戦へ弾みをつけていった。富山プロダクツにも応募し、時計や「tone」シリーズなど、多くのアイテムが選定されている。

異分野とのコラボから、新しい発想が生まれる

大手内装メーカーなどから、Orii独自の色を求めて多くの依頼が舞い込む。売上の44%は建材、30%がプロダクト、着色加工が25%ほどで、純粋な高岡銅器は着色加工のうちの10%ほどだ。売上は最も落ち込んだ時期に比べて5倍に増えた。
さらに、Oriiのスタッフがモデルになり、ワークウェアを発表して話題になったアンリアレイジとのコラボも記憶に新しい。着色の作業で服に付くシミを勲章と捉え、真っ白なコットンの作業着にデザインしたもの。カメラのフラッシュや蛍光灯の光の反射でその鮮やかな模様が浮かび出る斬新なデザインだ。もともとファッションに興味があり、アメリカのポインターというジーンズブランドのカバーオールを、仕事着として使っていた折井さん。今後はファッション業界でも銅板の着色の技術を活かしたいと考えている。「まだまだ高岡銅器のことを知らない人は多いですし、高岡伝統の技をもっと広く伝えていきたい。それには、異業種の人たちと交流したり、つながった方が断然面白い。そこからまた、新しい発想やものづくりが生まれていくんです」